東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8968号 判決 1980年5月16日
原告 久野明子 外二名
被告 国
主文
一 被告は原告久野明子に対し金三〇四万六八五九円、原告久野泉、同久野睦それぞれに対し各金一三七九万七五四一円及び右各金員に対する昭和五〇年一一月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事 実 <省略>
理由
一 原告久野明子は亡茂の妻であり、原告久野泉及び同久野睦はいずれも亡茂の子であること、亡茂は、昭和四一年四月当時、航空自衛隊第六航空団所属の一等空尉であつたこと、同人は、同年同月八日、第六航空団の要撃訓練計画に基づき事故機に搭乗して小松飛行場を飛び立ち、石川県輪島沖の訓練空域に至り、要撃訓練の指示のもとに訓練を実施しようとしたこと、然るに、事故機は、その矢先、チツプタンクの燃料に片減りを起したこと、そして亡茂は、間もなく輪島沖海上に墜落して死亡したこと、はいずれも当事者間に争いがない。
二 右当事者間に争いがない事実に、証人真志田守、同村田清昭の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、本件事故の概要は以下のとおりと認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 亡茂は、昭和四一年四月八日午前九時五一分、高々度要撃訓練実施のため事故機に搭乗し、これを操縦して小松飛行場を離陸した。なお、当日の訓練は、真志田守編隊長の指揮のもとに二機編隊で訓練を実施するものであつたが、編隊長において亡茂の訓練の様子を観察する為に、亡茂が一番機のポストに就いて先ず離陸し、その後数秒してから真志田編隊長が離陸の為の滑走を開始した。
2 ところが、事故機は、離陸直後(殆ど離陸し、脚を上げた時点)に左のチツプタンク(翼端に取り付けてある)のスニフルバルブから燃料を霧状に噴き出していることが判明し(なお、この事実は、直ちに、モーボ幹部から亡茂に通報された。)、それは、真志田機が離陸して一分二〇秒から三〇秒位経過するまで継続していたが、それで燃料漏れは止まつた。
3 その後、真志田機は、高度一万二〇〇〇フイート位に上昇した時点で、プラツトフホーム・アウトの表示(航空機の姿勢を感知するジヤイロシステムの一つが故障していることを示す警報)がついたため、その故障の修復に努めたが成功しなかつた。そこで真志田は、自らの訓練中止を決意し、亡茂に対し、「真志田機は小松タカン局上空で待機する。一回だけ攻撃訓練を実施した後空中集合せよ。」と指示をした。
4 同日午前一〇時〇七分ころ、亡茂から「チツプタンクの燃料が片減りしており、左一〇〇〇ポンド、右三〇〇ポンドである。」旨の通報があつた(なお、事故機は、離陸時には左右両チツプタンクに各一一〇〇ポンドの燃料を積載していた。)。そこで真志田は、「チツプタンクのスイツチを切れ(サーキツトブレーカーを抜く操作を意味しているものと認められる。)。」と通報したところ、亡茂から了承した旨の応答があつた。そして亡茂は、その後も高々度要撃訓練のための飛行を続行した。
5 然るに、同日午前一〇時一二分ころ、亡茂から、突然「アン・コントロール(操縦不能)」と通報があつた。そこで、当日の訓練の目標機操縦者が直ちに「スピードブレーキを出して減速せよ。」と指示したところ、それからしばらくして、亡茂から「ポイント・ナイン(スピードが〇・九マツハになつた。)」との通報があつたが、それを最後に亡茂は消息を絶ち、その頃、緊急脱出することなく事故機とともに輪島沖海上に墜落し、死亡した。
なお、亡茂から操縦不能の通報があつた午前一〇時一二分の時点における残燃料は、片減りの通報やそれまでの飛行の状況、諸元等に鑑み計算すると、胴体タンク四二〇〇ポンド(離陸時には、五六〇〇ポンドを積載していた。)、左チツプタンク一〇〇〇ポンド、右チツプタンク〇と推定される。
三 前記二において認定した本件事故の概要からすれば、本件事故機は、離陸時(午前九時五一分)には左右両チツプタンクに各一一〇〇ポンドの燃料を積載していたところ、離陸後約一六分経過した午前一〇時〇七分ころの時点で、その残燃料は、左チツプタンク一〇〇〇ポンド、右チツプタンク三〇〇ポンドとなつており、したがつて両翼端に取り付けられているチツプタンクの燃料に七〇〇ポンドの重量差が出ていたこと、そして、その約五分後である午前一〇時一二分ころの時点では、左チツプタンク一〇〇〇ポンド、右チツプタンク〇、したがつて一〇〇〇ポンドの重量差が出ていたことが明らかである。
ところで、成立に争いのない乙第一七号証及び証人須藤泰伸、同橘孝祐の各証言によれば、航空自衛隊内においては、本件事故を契機としてチツプタンクの燃料が片減りした場合の安全対策について関心が持たれ、片減りの場合の飛行特性につき飛行試験を実施する等した結果、昭和四二年四月一五日以降の技術指令書操縦指令において、チツプタンク装着時には燃料計に注意すること、そして左右のチツプタンクの燃料に三〇〇ポンド以上の差が出た場合には、原則として任務を放棄して着陸すべきものとし、その着陸の為の手順が詳細に説明され、また、左右のチツプタンクに六〇〇ポンド以上の差が出た場合には、チツプタンクを切り離すように、とされるに至つたことが認められる。
そこで、前記本件事故におけるチツプタンクの燃料の片減りの状況を右技術指令書の記載内容と照らし合わせるとともに、前記二の本件事故の概要、さらには、本件において他に格別の事故原因を窺わしめる証拠が何ら存しないことをも併せ考えるならば、本件事故は、チツプタンクの燃料の片減りに起因するものと推認するのが相当である。
四 そこで進んで、チツプタンクに前記三のとおりの片減りが生じた原因について検討する。
1 事故機の左右のチツプタンクの残燃料の経時的推移は前記三のとおりであり、また前記二5によれば、胴体タンクの残燃料は、午前一〇時一二分の時点において、当初の積載量から一四〇〇ポンド減少した四二〇〇ポンドと推定されるところ、以上の各事実に、後記2のとおり、チツプタンクの燃料は、胴体タンクの燃料が費消されるに従いその分だけ胴体タンクヘ移送される機構となつていること及び左チツプタンクのスニフルバルブからは、前記二2によれば多量の燃料が噴出したものと認められることをも併せ考えるならば、事故機は、その離陸直後から操縦不能に至るまでの間、終始、左のチツプタンクから胴体タンクヘの燃料移送がほとんどなかつたものと推認され、これによれば、本件チツプタンクの燃料の片減りは、左チツプタンクの不具合の結果生じたものであり、しかもその不具合は、事故機が操縦不能に至るまでの間終始継続していたものといわなければならない。
2 成立に争いのない乙第一二号証及び証人村田の証言によれば、チツプタンクの燃料は、胴体タンクの燃料が費消されるに従い、その分だけ胴体タンクヘと移送されるのであるが、その移送のシステムは、エンジンの力で空気パイプを通じてチツプタンクヘと送られる(なお、その間に圧力調整器により空気圧が調整されたうえ、エアー・シヤツトオフ・バルブを経由する。)空気によつて、チツプタンク内に空気圧がかかり、その空気圧によつて、チツプタンク内の燃料が燃料ポンプを通じて(なお、途中でトランスフアー・シヤツトオフ・バルブを経由する。)胴体タンクヘと移送されるものであること、また、スニフルバルブは、チツプタンク内の圧力を適正に保つために同タンク内に設置されている装置であること、が認められる。
そして、チツプタンクから胴体タンクヘの燃料移送が阻害される原因として、一般に、スニフルバルブの機能不良、エアー・シヤツトオフ・バルブの機能不良等による空気パイプの詰まり、燃料パイプの詰まり、の三つが考えられることは被告も認めるところであり、このことに、前記チツプタンクから胴体タンクヘの燃料移送のシステムを併せ考えるならば、事故機の左チツプタンクから燃料が移送されなかつた原因は、他に特段の事情の認められない限り、右三者のいずれか、あるいは、それらの競合の結果であると推認するのが相当である。
3 ところで、前記二2のとおり、事故機は、その離陸直後、左チツプタンクのスニフルバルブから燃料を霧状に噴き出しているところを発見され、それは、事故機の離陸数秒後に離陸のために滑走を開始した真志田機が離陸して一分二〇秒から三〇秒位経過するまで継続していたのであるから、事故機の左チツプタンクのスニフルバルブには、何らかの不具合が存したものと断ぜざるを得ない。
なお、証人村田の供述中には、スニフルバルブから燃料が漏れることはままあり格別問題視する必要はないとの趣旨の部分が存するが、それは、たまたま何らかの原因によつてスニフルバルブ内に存在したコツプ二・三杯程度の燃料が漏れ出すというケースに関する供述であり、本件の場合とは燃料漏れの態様、程度が明らかに異なつているので、右認定の妨げとはならない。
また、証人真志田の供述中には、燃料の噴出が停止した以上、その時点でスニフルバルブの機能は正常な状態になつたものと判断できるとの趣旨の部分が存するが、証人村田の、たとえ燃料漏れが収まつたとしても、引き続き空気が外へ漏れ続けるためにスニフルバルブが有効に機能できない場合が考えられる、との供述と対比すると、右真志田証人の判断は早計にすぎるといわざるを得ないというべく、したがつて、これも右認定の妨げとはならない。
4 前記二4によれば、亡茂は、午前一〇時〇七分ころ、同人からの片減りの通報に対し真志田がなした「チツプタンクのスイツチを切れ。」との指示を了承していることが明らかであり、これによれば、亡茂はそのころ、真志田の右指示に基づいてサーキツトブレーカーを抜く操作をしたものと推認される。然るに、前記二4及び5によれば、右操作にもかかわらず、左チツプタンクからはほとんど燃料が移送されなかつたことが推認されること前記四1のとおりである。このことと、右操作の効果が燃料パイプ系統のトランスフアー・シヤツトオフ・バルブ及び空気パイプ系統のエアー・シヤツトオフ・バルブの両者を開放するものであること(成立に争いのない乙第一九号証及び証人村田の証言によつてこれを認める。)を考え併せると、事故機の左チツプタンクから燃料が移送されなかつた原因は、右両バルブの不具合以外のところに求められなければならないというべきである。そして、本件記録中には、前記3以外には、他に右原因となる事実を窺わしめるに足る証拠は何ら存しない。
5 以上説示のところによれば、本件チツプタンクの燃料の片減りは、左チツプタンクのスニフルバルブの不具合によつて惹起されたものであり、また、その不具合は、遅くとも事故機の離陸直後から操縦不能に至るまでの間終始存したものと推認するのが相当である。
五 そこで被告の責任について検討する。
1 国は、国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は国家公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つているものと解すべきであり(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁)、本件のようにジエツト機に搭乗して要撃訓練に従事する航空自衛隊員に対しては、ジエツト機の飛行の安全を保持し、その墜落等の危険を防止するために必要な諸般の措置をとることが要請されるところであり、右措置の中に、ジエツト機の各部々品の性能を保持し、機体の整備、点検、修理等を充分に実施すべきことが含まれることはいうまでもないところである。
2 ところで、被告は、「安全配慮義務違背は、その内容が信義則に違背する程度のものであるときに初めて債務不履行責任を生ぜしめるものと解すべきである。」旨主張する。
もとより、右安全配慮義務は、信義則に根拠を置く義務であり、したがつて、安全配慮義務に違背する行為は、その内容において常に信義則違背を伴うものというべきである。
しかして、被告の前記主張の意味内容は必ずしも明確ではないが、それが如上の点を指摘するものとすればもとより首肯しうるところであるが、そうではなくして、「安全配慮義務違背を理由とする債務不履行責任は、義務違背の程度が著しい場合に限つて認められる。」旨を主張するものであるならば、そのように解すべき理由はないものというべきである。
3 そこで、被告において前記安全配慮義務を履行したといえるか否かについて検討することとする。
いずれも成立に争いのない乙第八ないし第一〇号証、証人村田、同須藤の各証言及び弁論の全趣旨によれば、航空自衛隊においては、航空自衛隊装備品等整備規則及び航空自衛隊技術指令書管理運用規則等に基づき、被告主張のとおりの整備組織、整備方式が整えられていること、そして事故機についても、右整備方式のもとに、被告主張のとおりの定期修理、二五時間後及び五〇時間後の各定時飛行後点検が実施されていたこと、が認められる。また、こうした整備組織、整備方式がとられている以上、事故機について、右定期修理及び定時飛行後点検の外に、所定の飛行前点検、毎飛行の前後の点検及び基本飛行後点検が実施されたことも、推認するに難くないところである(但し、いずれも成立に争いのない乙第二号証の一ないし九、同第三号証の一ないし三、同第四号証の一、二、同第五号証の一ないし三の各記載及び証人村田の供述によつても、未だ、本件事故当時のF一〇四ジエツト機の整備項目が、別紙「F一〇四の各段階における点検・検査についての一覧表」記載の全項目にわたつていたものと認めることはできず、他にこれを認定するに足りる証拠もない。)。
しかしながら、前記四のとおり、本件事故機は、遅くとも離陸直後の時点から操縦不能に至るまでの間、その左チツプタンクのスニフルバルブに不具合が存し、正常に機能しなかつたこと、そのため、左右のチツプタンクの残燃料に不均衝をきたし、本件事故を惹起したことが明らかである。
このことに、前記整備組織、整備方式のもとにおいては、前記各整備実施当時、本件スニフルバルブに本件のような不具合が生じることを予見することが不可能であつたことを窺わしめる具体的事実につき何らの主張・立証がないことをも併せ考えると、前記のとおりの整備の実施にもかかわらず、やはり、被告は、事故機ことにその左チツプタンクのスニフルバルブにつき、その性能を保持し、整備、点検、修理等を実施すべき義務を充分には履行しなかつたものといわざるを得ない。
4 以上の次第であるから、原告らが主張するその余の責任原因(請求原因3(二)及び(三))につき判断するまでもなく、被告は、本件事故につき安全配慮義務違反の責任を免れず、右事故による後記損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
六 過失相殺<省略>
七 損害<省略>
八 結論<省略>
(裁判官 渡邊昭 増山宏 金井康雄)